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南界堂通信〈秋号|第20号〉

知られざる偉人伝

鷗外と漱石

性愛表現の分水嶺 その1

森 鷗外
(小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医、官僚/1862−1922)

レイナルド・アレナス(小説家・詩人/1943-1990)

もし外国の方に、近代日本を代表する作家は誰と尋ねられたら、読者の皆さんは何と答えるだろうか。私ならまず漱石の名をあげ、あとは「ウ~ン、いろいろいるけど……」とお茶を濁すかもしれない。鷗外の名は、有名だけれどあまり読んでないし、口にするのをはばかるかもしれない。なんだか、随分むかしの、違う時代の作家、というイメージがつきまとうのだ。

しかし鷗外は漱石のわずか五歳年長にすぎない。その彼が一九〇九年(明治四十二年)、四十七歳のときに発表した小説『ヰタ・セクスアリス』(現代の表記ではウィタ・セクスアリス=「性生活」を意味するラテン語。鷗外は「性欲的生活」と言う)を読んでみたら、これがとても面白かった。なにせ当時の鷗外は陸軍軍医のトップの地位にある、超エリートの医者にして官僚。そんな彼が金井湛(かねい・しずか)という主人公を語り手に据えた小説を発表するのだけれど、この金井湛、どう考えても若き鷗外の化身だから、たいがいの読者はこの作品を鷗外の自伝的私小説として読むことになる。

ある日、通っている学校の寄宿舎に金井君が立ち寄ったところ、そこでは男色が行われており、金井君もとある先輩に目をつけられる。地方出身の金井君はやがて寄宿舎に住むことになるのだが、当然のように先輩たちに狙われる。あやうく難を逃れる金井君だったが(先輩の一人がそっと近づいて来るのに気付いた金井君は、短刀を握りしめ、部屋の窓から屋根に逃れるのである)、観察も怠らない。曰く「性欲的に観察して見ると、その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった……」とし、軟派は男女の絡む画を見たり、遊郭に行ったりする連中、硬派は美少年と兄貴分の男との恋物語を争って読んだり、目をつけておいた後輩をレイプしたりする連中だという。面白いのは、硬派は例外なく九州か山口の出身であったこと。金井君によれば硬派は少数派ながらも寄宿舎内では威張っていたらしい。軟派すなわち女に堕落させられた男、というイメージがつきまとっていたのである。

それから随分月日が経った或る日、金井君はかつて硬派だった古賀君と軟派だった三枝君と連れ立って吉原遊郭に赴く。この折の古賀君の行動は江戸時代の小説『東海道中膝栗毛』の主人公弥次さん喜多さんにそっくりだ。弥次さん喜多さんは恋人同士だが、江戸を離れると旅先で飯盛り女を買ったりする。性行動がアイデンティティと繫がっていないのだ。自分が誰と寝ようと――相手が男だろうと女だろうと――そのことを自分自身に説明する必要はない。硬派だった古賀君が大人になって遊郭で女と寝ようと、どのような説明も不要なのである。

もうひとつ、「あっ」と驚いたくだりがあった。金井君の仲間で軟派のひとりが硬派の男に「話をきめるのに、女なら手を握るのだが、少年はどうするのだい」と訊くと、男は「やっぱり手じゃが、こぎゃんして」と九州弁で説明しながら軟派男の「手を摑まえて、手の平を指で押して、承諾するときはその指を握るので、嫌なときは握らないのだと説明する」。実はこの合図、今でも東南アジアから中東にかけて広く行われているもので、秋波を送るかわり、握手するとみせかけてちゃっかりナンパ(「軟派」でなく!)するわけで、なんてスバラシイ文化なんだろうと思っていたけれど、明治の日本にもちゃんとあった!

こんな具合に、男色を語っても女色を語っても金井君は(ひいては鷗外も)アッケラカンとしたスタイルを崩さない。ところが、『ヰタ・セクスアリス』が掲載された文芸誌『すばる』は、まさにこの作品が「風俗を壊乱」させるものだとして発売禁止となる。「風俗を壊乱」させると考えられたのは、寄宿舎での同性愛行為の描写というより、金井君の性愛経験がアッケラカンと包み隠さず語られている点だろう。明治政府的な価値観に従えば、性愛を包み隠さず語ることはむしろ江戸期の文化に属することであり、彼らが模範と仰ぐ英・独・仏のキリスト教文明の価値観とは相いれないものであった。そして、『ヰタ・セクスアリス』発禁処分のあおりを喰ったのが、一九一四年に発表された夏目漱石の『こころ』であった。(つづく)

ヰタ・セクスアリス
鬼塚哲郎

あと数年で定年を迎える大学教員。スペイン語圏の文学、芸能を偏愛。
考えてみると、鷗外のようにアッケラカンと性愛を語る作家はキリスト教世界ではほとんど見当たらない。前回紹介したキューバのアレナスもゲイライフをアッケラカンと語ってはいるが、その背景には、ゲイの存在を認めさせようとする壮絶な闘いの姿勢が感じられる。鷗外のアッケラカンは、やはり、江戸の文化の名残りだろう。そして漱石は……

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